keta_chopの日記

まどマギの感想を書くためだけに立ち上げたのでどうなるかわかりません。

【ネタバレ】劇場版「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」まとめと感想

TV版だけでもわかっている方にはわかっていたのでしょうが、私はさやかと杏子しか見ていなかったので今回の叛逆を見て「oh……」と呻かざるをえなくなりまとめました。

単純な対比のまとめと感想です。考察らしいものはありません。

 

 

 

まとめ

TV版・総集編/叛逆の物語として対立軸を見たとき

[正義の味方]さやか/まどか

[自分のために願い生きる]杏子(林檎)/ほむら(柘榴)

となります。

[正義の味方]としての存在のお手本は、もちろんマミさんです。

TV版・総集編でさやかが失敗したのは上条恭介という愛すべき人がいたからで、まどか(とマミさん)が成功したのは博愛の人だったから。

杏子が失敗したのは自己愛(かつての自分と同じ未来を目指すひとへの気持ち)だったからで、叛逆の物語でほむらが成功したのは他者への愛(自分とは違う道を行くひとへの気持ち)だったから。

 

もうひとつはさやかとほむらの共通点。

特別な誰かのために戦う意志。

恭介はさやかの戦いはまったく知りません。

まどかですが、今のまどかは知らなくても、過去のまどか、あるいは概念と化したまどかはほむらの戦いを知っています。

だからこそほむらは最後の最後まで戦い続けることができました。

まどかが見てくれているから、まどかが愛した世界だから守ろうと。

でも、今回アルティメットまどかが普通のまどかに改竄されたとき、概念と化してひとり永遠に戦い続けることが怖いという言葉を聞いてしまいます。「自分たちのために、本当ならば怖いことをひとりで立ち向かっていった」まどかは、一番はじめのまどかと全く同じです。だから、3度目の今度こそは救わなければならなかった。

まどかは秩序や世界をあるものとして受け止め普遍的に愛し、それを守ろうとするけれども、ほむらのなかには元から世界や秩序なんて無く、目の前のまどかしかなかったんですね。

 

こちらのブログ見てるとまどかは勘違いしていたのでは?とあります。

彼女と、【彼女】のすれ違い ―劇場版まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語感想 ※ネタバレ有―

確かに「最高の友達」って言ってるんです。

でも

「今の私になったから、本当のあなたを知ることができた。私には、こんなにも大切な友達がいてくれたんだって。だから嬉しいよ」

「あなたは私の、最高の友達だったんだね」

という言い方は、まどか自身の実感を伴った言葉には見えないのですよね。その後も「みんな、みんないつまでも私と一緒だよ」と言っていて、まどかとほむらのふたりきりの関係には殆ど触れていません。私としては、やはりまどかは博愛しか抱けていない少女なのだと思います。

 

他にも、「愛と勇気が勝つストーリー」が二重に叶えられた(TV版:さやかは失敗/叛逆:魔女化したほむらからほむらを救い出す・概念化したアルティメットまどかからまどかの記憶を掬い出す)とか、胡桃とか黒蜥蜴とか柘榴とか円とかいろいろありましたが、きっと他の方がお話ししてくれることを信じて、あとは感想に回します。

 

 

今回の話はまったくもってハッピーエンドじゃありません。少なくとも私は認めません。

だって、ほむらは笑っていないじゃありませんか。

ほむらもまどかも自己犠牲しやがって……お前らふたりで並んで笑えよ!!!って感じです。

そもそも、いまのまどかって本当のまどかなんでしょうか?

かつて存在した鹿目まどかは、「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい」と魔法少女の笑顔を願って円環の理というシステムの存在へとなりました。それって、もうシステムとまどかは不可分の存在ってことですよね?本当なら。

それは、鹿目まどかなんでしょうか。

私には、ほむらがもう彼女の求める鹿目まどかはどこにも存在しないにも拘わらず、その残滓を求めて円環の理というクローン、あるいはまどかの子供から記憶だけを切り離して、かつての鹿目まどかにしてあげられなかったことをしているだけのように見えてしまうのです。

円環の理に従うまどかも、さやかも、マミさんも杏子も、みんな踊ります。みんなで踊ります。笑います。でも、ほむらはたったひとりで踊るのです。

じゃあどうすればいいんだって感じですが、もう私にはQBさんたちにその存在ごとお引き取りいただいて宇宙の開闢から改変するしかないんじゃないかと思えてきます。あの綿菓子は私のなかのぜったいにゆるさないリストトップに君臨し続けることでしょう。

 

あとは、さやかがすっきりした顔でオクタヴィアさえ自分の制御下においていたところには泣きました。さやかは自分の負の感情をも受け入れることができたってことじゃないですか。あそこで流れるのが"For The Next Episode"だというのもにくいです。杏子とさやかはもう双子の姉妹みたいなものなので同棲しててもおかしくないということが今回よくわかりました。お幸せに……。

 

それと、最後に。

今回、OPではほむら以外の4人が踊り、ピュエラ・マギ・ホーリー・クインテットの変身シーンで5人が踊り、そして最後はほむらひとりが踊って終わります。はじめのナイトメア退治のときには「Welcome to cinema」、ほむらがさやかと戦った後にゴンドラで下るときには「Do you enjoy the movie?」と、舞台……映画であることを問いかけてきます。映画を楽しんでる?と。これはほむらへの問いかけであると同時に私たちへの問いかけであることは想像に難くありません。

この、魔法少女たちが楽しげに踊っている、幸せなOPはすべて映画であって現実ではない。ということが映画を見ている私たちへ投げかけられているようで、ものすごくつらかったです。二次創作を肯定されたようで、その実すべてが空虚なような。もっともこれは二次創作大好きな腐女子兼オタクの被害妄想なのかもしれません。総集編映画のコネクトラストシーンがほむまどふたりになったことに多大なショックを受ける位の人間なので……。自分でもまだうまく整理できていないので、後日整理できるようであればまたなにか書きたいと思います。

 

臓腑を抉られるようにつらくても作品としてすばらしかったのでできるだけ通いたいですね(白目)

 

 

 

 

以下、上記前半まとめに至った流れというか補強というか。

 

マミ:交通事故から生き残りたい(自分のため)

杏子:父親の話をみんなに聞いてもらいたい(他人のため)

さやか:恭介の腕を治したい(他人のため)

ほむら:まどかとの出会いをやり直し、まどかを守る自分になりたい(他人のため)

まどか:すべての魔女を生まれる前に消し去りたい(他人のため)

 

マミさんの願い事は明言されてはいませんが、交通事故のなかひとりだけ生還したところを踏まえると恐らくとっさに自分だけの命を願ってしまったのだろうと考えられます。

 

ほむらの願い。

ほむらは元々何もできない自分に対してコンプレックスを持っていました。だからこそ目の前に現れた明るくて誰かを守るために戦うまどかに憧れたわけです。

そんなまどかは、大したことの無い自分を守って死んでしまった。だから、彼女が死なないように、自分も強くなって隣に立って守りたい。

そう願ったわけですが、ここでほむらはひとつ勘違いをしているのではないでしょうか。

 

まどかはワルプルギスの夜から逃げようとほむらに言われたときにこう返しています。

「それでも、私は魔法少女だから。みんなのこと、守らなきゃいけないから」

まどかはいつだって、「みんな」のことを、そして「みんな」がいる「世界」のことを考えています。

それは中学生の女の子が描ける「世界」ですから、当然狭いものではあります。ですが、間違いなく関係性とその広がりを持った「世界」なのです。

 

一方でほむらはまどかと共に戦って魔女化しそうなときにこんなことを言っています。

「そう……。ねぇ……私たち、このまま二人で、怪物になって……こんな世界、何もかもメチャクチャにしちゃおっか?

嫌なことも、悲しいことも、全部無かったことにしちゃえるぐらい、壊して、壊して、壊しまくってさ……。

それはそれで、良いと思わない?」

ほむらには、始めから「世界」なんてものはどうでもいいものだったのです。

まどかがいるから、まどかが笑っているから、だからこそ「世界」はあってもいいものであって、まどかがいない「世界」などに価値はありません。

 

さて、ここで杏子とさやかを見てみます。

TV版・総集編版でさやかは恭介の腕を治したあと正義の味方として戦います。

「これからの見滝原市の平和はこの魔法少女さやかちゃんが、ガンガン守りまくっちゃいますからねー!」

「私はね、ただ魔女と戦うだけじゃなくて、大切な人を守るためにこの力を望んだの。だから、もし魔女より悪い人間がいれば、私は戦うよ。例えそれが、魔法少女でも」

これもまどかと同じ、大切な人が住む見滝原市=「世界」を守ろうとする決意です。

ですが、さやかは段々と歪んでいきます。それは、一番最初の、「世界」の基準点としてあった上条恭介が友人に奪われたからです。そう言う意味で、さやかはマミさんやまどかとは異なっています。たったひとりの、特別なひとが世界の大半を占めていた。奪われたなかでもその特別なひとが生きる「世界」を守るために戦おうとしますが、特別なひとである恭介はさやかの戦いなど知りもしません。誰に認められることもない戦いを続けることは、非常にくるしいことです。

 

戦い続けられたマミさんとは、そして概念と化して永遠に戦い続けようと決めたまどかとは何が違うのか。

特別なひとがいた。それだけのことなのです。

突出した誰かを持たない、言ってしまえば愛も恋も持たない

 

杏子も、一度は世界を奪われています。父親のために行った行為が引き金となって、「世界」の基準点である父親自身がその周囲にあった家族をも含めて消え失せました。そこで魔女になってもおかしくありませんでしたが、杏子は魔法少女として戦い続けています。それは、その基準点を奪ったのが自分だからです。父親に詰られ、目の前で心中され、少なくとも杏子はそうやって納得しました。「自業自得の人生」だと納得したから、誰を呪うことなく、強いて言えば自分を呪うことで生きてこられたのです。ほむらと同じですね。