keta_chopの日記

まどマギの感想を書くためだけに立ち上げたのでどうなるかわかりません。

常守朱の信者による告解 #YOME_LOVE

みなさんこんばんはー。お元気でしたか?私は去年「杏子とほむらの関係も書きたい」とか言っておきながら1年経過しました!絶賛放置中!申し訳ない……申し訳ない……。
えー、本当なら今回の#YOME_LOVE Advent Calendar「杏子以外書ける子いないしな……」というわけで他の方にお譲りするつもりだったのですが、この1ヶ月弱の短いあいだに思いっきり直下で落下して拗らせました。その子について語らせていただきます。
彼女の名前は、常守朱(つねもりあかね)。TVアニメ『PSYCHO-PASS』『PSYCHO-PASS 2』のヒロインです。誰ですかまた虚淵脚本の女子キャラなのかって言った人。私だってこんなはずじゃなかった。でもまだたった二人目だ、大丈夫。大丈夫。

作品とキャラ紹介

この世界観がまた細かいのですが、ざっくり言うと
「脳みそ繫いだ生体コンピューターが、人間をスキャンして心理状態や職業適性とか犯罪者になる可能性とか測定してる。それに従って社会が動くので現代の私たちからするとちょっと息苦しい100年後の世界」で、
「犯罪者予備軍で人権がほぼない執行官と呼ばれるひとと、彼らを指揮する監視官が、警察として、あまり事件は多くないものの少数精鋭で取り締まっている」
と思っていただければ結構です。
一応、必要そうな単語や世界観の説明も載せておきます。

  • シビュラシステム:包括的生涯福祉支援システム。人間の生体反応を測定し、PSYCHO-PASSサイコパス)と呼ばれる精神状態の分析データを算出している。そのなかには犯罪係数(犯罪を犯す可能性や更生に至るまでのコスト等を踏まえた数値)や色相(現在の心理状況)といったものがある。また、職業適性判定も行い適材適所、省コストで国家を運営するために必要不可欠とされている。主に免罪体質者と呼ばれる人間たち(本編でも触れられていないが、おそらく非免罪体質者も含まれると考えられる)約250名の脳を繫いでできているが、表向きはスパコンの並列分散処理とされている。
  • 日本:トテモスゴイムギ*1メタンハイドレートのおかげで完全鎖国中。人口は現在の1/10くらいで首都圏など都市部に集中。シビュラが導いてくれるのでそれに従ってみんな生きており、色相を濁らせないようストレスケアが大事。色相チェックのために街頭スキャナが設置されているが、手入れされていないスラム街もある。
  • 潜在犯:シビュラにより計測された犯罪係数が一定値を越えた場合、社会から隔離され治療・排除される。その時点で犯罪を犯していなければ基本施設行きだが、事件の最中にドミネーターで計測されてしまうと、被害者であってもその数値に見合った対応がとられる(殺害含む)。
  • 公安:犯罪を犯す前にスキャナで把握できるようになったため、あまり事件はなく人員は機械化。人間の捜査官もいるが、犯罪に関わることで犯罪係数が悪化していくことが多々あるため、潜在犯の中から適性が出て、かつ本人が承諾した者を「執行官」として前線に立たせ、一般の捜査官は「監視官」として彼らの指揮に当たる。「携帯型心理診断・鎮圧執行システム・ドミネーター」と呼ばれる大型の電子銃を使用。リアルタイムで計測した犯罪係数に応じて麻痺・殺害(対象が人間以外だと分解も有)とモードが変更する。

メインキャラクターは以下の3人です。
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  • 常守朱:20歳の新人監視官。成績優秀、色相美人と非の打ち所がない秀才。おばあちゃんっ子でなぜか自然と諍い事を収めるのがうまい。同期の中で唯一公安局への職業適性が出たため、自分にしかできないことがあると入局。


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  • 狡噛慎也:元監視官の現執行官。28歳。入局当時は朱と同じく将来を嘱望されていた。当時担当だった佐々山執行官が捜査中に殺害されるも、被疑者失踪。状況証拠だけが残され捜査打ち切りとなった事件を未だに追い続けており、この事件により犯罪係数が悪化、執行官に降格。読書家かつ体を鍛えている。そんじょそこらのスパークリングロボ相手では歯が立たない。


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  • 槙島聖護:画像左側の真っ白い人。年齢不詳。免罪体質者であることを武器に、さまざまな犯罪者に援助を行う。人間の選択・意志を至上のものとしているため、それを放棄させるシビュラシステムや体制に違和感を持たない市民を疎んじている。狡噛と同様に読書家で、格闘技のセンスがずば抜けている。

「気がついたら崇めてた」

冒頭「こんなはずじゃなかった」と言ったように、1期放送当時の2012年ではまったくハマる気配はありませんでした。というか、元々ノイタミナなにそれおいしいの地域である北海道に住んでいたため、確かニコ生の一挙放送で見たはずです。「あー、なるほどこういう話なのかー」程度の認識でした。そして今放送中の2期も、さらっと見ていただけのはずでした。ですが、第2話で狡噛さんと同じ煙草をお香のように使っているシーンを見て


ほろりと来てしまったんですね。まずその時点で「えっそれもどうなの?」と思われるかもしれませんが、それでもまだ軽症でした。そこから、忘れてしまった1期の細かい設定を把握したいと思い、dアニメストアで総集編版を見返したところ坂道を転がり落ちてしまい、スピンオフ小説『PSYCHO-PASS ASYLUM1』を読んだら沼にいました。ふしぎ!
PSYCHO-PASS ASYLUM 1 (ハヤカワ文庫JA)

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本編での朱ちゃん

本編で常守朱は、世の中を受け入れ、そのうえで自らの良心にシビュラの託宣を問いかけ続けることのできる意志の強さを持った女性でした。

朱ちゃんがシビュラの秘密を知る前、彼女はシビュラの中身と同じ免罪体質者である槙島により親友を目の前で殺されていました。また、共に戦い、信頼を築いていた執行官の縢(かがり)くんは、槙島の一派とともにシビュラの秘密に触れてしまったため、犯罪係数を度外視して内密に殺処分されています。

槙島をシビュラの一部とするため、裁けない彼を捕らえろ。
そんな理不尽きわまりない命令に感情では反発します。

しかし、それでも彼女はドミネーターを投げ捨てることができません。
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シビュラシステムが無ければ現在の社会が成立しない。シビュラの代案も出せはしない。そんな状態でシステムを瓦解させることが、どれだけの悲劇を生むのかわかっていた。だから、自らの理性で判断し、朱ちゃんはシビュラの指示に従います。
但し、その中でも、槙島を無事確保できたなら、逃亡犯扱いで処分される狡噛さんを執行官に戻すことを了承させるなど、できうる範囲で犠牲を最小限に留めようとします。

システムに唯々諾々と従うだけの人間を「家畜」と蔑み、「人間」としての意志を見たい槙島。その槙島をシビュラのもとでは裁けないとドミネーターの代わりにリボルバーを手にして槙島を裁く——殺そうとする狡噛。狡噛さんを「社会の中で生きる人間」として引き留めるため、ふたりの殺し合いに割って入ります。

「法が人を守るんじゃない、人が法を守るんです」

より善く生きたいと願う人々の想いが結実したものこそ法なのだと語る朱ちゃん。ですが、槙島の姿を探しているあいだに負傷してしまい、狡噛さんによって槙島は裁かれて事件はおしまいです。狡噛さんはそのまま行方をくらませ、朱ちゃんは引き続きシビュラのもとで法を守ることを選びました。


もうひとつ、朱ちゃんはこんな言葉で語られたことがあります。

「あの子は……なんていうかその、物事をよしとしている。世の中を許して、認めて、受け入れている。それでいて危ない橋を渡るのも厭わないんだから、ただ流れに身を任せているわけでもない。刑事っていう仕事の、意味と価値を疑うことなく、信じているんだな」

彼女は悪を、ひとが幸せになる可能性を奪う行為を、憎んでいます。ですが、憎しみの感情それだけで走ったときに失われるもののことも、同時に考えています。
だから、シビュラに頼る人間と社会の弱さを許して、認めて、受け入れて、それでも理想を求めることを諦めない。前に進む意志を灯し続けることこそ、シビュラの名の下に切り捨ててきた多くの幸福と命への唯一の贖罪になり、これからを救う唯一の手段だから。自己を律し、良心にその行為を問いかけ続ける。

そうやって彼女は、たったひとり、システムの内部にいながらシビュラに立ち向かえる人間となったのです。
私はそんな彼女の強さが、強く立つたましいの在り方に心を奪われました。

しかし、それは同時に常守朱が「人間」の枠を越えてしまうことをも意味していました。

「超人」としての常守朱

シビュラの望む理性的な判断ができる限り、彼女のサイコパスが悪化することはありません。たとえ目の前で親友が殺されても、大切な仲間が去って行っても、祖母が自分の担当する事件に巻き込まれて殺害されたかもしれなくても。ずっときれいなまま。心が張り裂けそうになっていても、「彼女は平気である」と数値として可視化されています。
人間の精神状態を示すものとして可視化されている以上、実際には違ったとしても心とイコールで結ばれ、「悲しんでいるように見える/言っているけれども、本当は平気なんだ」という扱いになってしまうのです。事実、物語を見ている視聴者の声として「これだけやられても平気とかなんなんだ」といった意見も見られます。
でも、数値化されたものが、すべてなんでしょうか。
あの苦しんでいる、悲しんでいる朱ちゃんの表に出ているものはニセモノなのか?
内に秘められたものだけがホンモノなのか?
そんなわけないでしょう!!?

可視化された「心」のようなもの

本来、このサイコパスを始めとする各数値は、社会秩序の維持においてのみ使われるべきものであって、ごく個人的な感情の場に持ち込むべきものではないはずなんです。もちろん、数値を悪化させないよう自らが管理するのはまだわかります。「自ら」その数値を「使う」と決めたのですから、それはそれでいいのです。でも、他人が、そのひとの数値で「判断する」ということは、とても、とても、冒涜的な行為ではないでしょうか?
これはもう個人的な感情でしかないかもしれず、うまく説明できる気がしないのですが、科学というものは所詮現在の人間が共通で理解できるように体系化しただけのものであり、「わからないものはわからない」のです。それを、さも全知全能であるかのように科学の判断によって他者の内面を断言する。管理するためではなく、単なるコミュニケーションのときに。それは目の前にいる他者という存在への最大級の侮辱でしかない。私にはそう思えてなりません。

ですが、シビュラによる判断を受け入れているあの社会では、それが普通になってしまっています。朱ちゃん本人でさえ、狡噛さんがいなくなって心配してくれた志恩に対して色相を持ち出して答えるのです。
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「大丈夫ですよ。心配なら色相判定してみます?朝自分でチェックしてびっくりしちゃいました。こんなことになったのに、ペイルターコイズ。……あたし、どれだけ薄情なんだろう」

心とサイコパスは別の物だと志恩が伝えても、「じゃあサイコパスって何なんですか?心って、何なんですか……」と。自分自身のことなのに、自分の気持ちさえ疑ってしまう。こんなに震えた声で告げているのに!
数値化されるということは、その変動も含めて「ふつう」が可視化されるということになります。そこから逸脱した朱ちゃんの変化は、どう捉えられるのでしょう?
「私だけ」のやわらかで大切な部分に、他人の、社会の、「ふつう」という視線がズカズカと入り込んで斬りつけていくんです。でも、朱ちゃんはそのことに気付いていません。彼女もまた、シビュラのもとで生まれ育った人間だから、傷ついている/傷つけられた/傷をつけたことに、気付けない。この時点でわたしはシビュラを爆破してやりたくなります。まじ、あいつ、にくい。

「ふつう」の中の異質

そう、数値による判断で、常守朱は「超人」と化してしまうのです。正常に測定できないが故に社会から疎外された免罪体質者、通常の数値を逸脱したために疎外された潜在犯。そのどちらとも違う、「ふつう」の枠の中で「ふつう」じゃない変化をする「超人」*2。彼女にはそのレッテルが貼られます。

「超人」であるからこそ、シビュラに立ち向かえる。確かにその通りです。ですが、彼女は現在のところ、孤独です。シビュラの事実を知り、システムの自己保存によって起こる悲劇を最小限に食い止めようと、シビュラと自分と人間の正義を現場レベルですりあわせているのです。たった!ひとりで!!
そりゃあ当然、一係のメンバーは殆ど朱ちゃんに協力的ですから、朱ちゃんの意図に合わせて大体動いてくれますよ?でもね!?シビュラの正体と、そこから生まれるすべての罪科を知っているのは常守朱ただひとりなんですよ!!!!!!!

しかも、です。ノベライズには「ゆきの葬儀以来、同期の友達にも顔をあわせにくくて」とあります。

つまり、朱ちゃんのプライベートな繋がりが削られているんです。
2期ではおばあちゃんが狙われました。朱ちゃん自身の部屋に犯罪者からのメッセージが残されて自室で落ち着くこともできません。あまつさえもう一度相手がやってこないかと罠にさえしている。彼女が「私人」になれる場所は、いったいどこにあるのでしょう?

英雄信仰

人を超えた彼女は、ひとりで安全装置を担っている。彼女自身が、サブシステム。いえ、シビュラという怪物に立ち向かう英雄と言ったほうがいいのかもしれません。そうしてどんどん、「平気」な朱ちゃんに役割が当てられ、人々の願いが積み重なっていくのです。まだ二十数年しか生きていない女の子の肩に!!
そのことが、私にはものすごくかなしい。
同時に、その在り方を選んだ常守朱のたましいが、尊いと思えるのです。
そして、尊いと思ってしまう私自身が、彼女に英雄の役割を押しつけているのだと思うと、身動きが取れなくなります。

人間としての常守朱が見たい

私は、彼女の「心」を決めつけるシビュラ社会が心の底から大嫌いです。朱ちゃんは強い。そのとおりです。自己を律し、前を見続けられる、「超人」だと思います。それでも、たとえ彼女がどれだけ強かったとしても、孤独に歩むことだけはお願いだからやめてほしい。英雄である彼女を信奉した私がこんなことを言うのもおこがましいですが、常守朱は人間なんです。
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1期前半では、かわいらしい表情もたくさん朱ちゃんは見せてくれました。どや顔めちゃかわです。so cuteです。年相応の表情じゃないですか。でも、進むにつれて笑顔は減り、笑ったかと思えば困ったような顔ばかり。2年後の2期でもそのままです。

私は、朱ちゃんにまた笑ってほしい。

2期では後輩の霜月ちゃんがシビュラの秘密を知ることとなりました。いまのところお互い秘密を共有していると気付いていないようですが、これからふたりで背負えるようになるかもしれません。もしくは年明け公開の劇場版で、海外にいるらしい狡噛さんと何らかのかたちで共有できるようになるかもしれません。

シビュラがどうなろうがもうどうでもいいです。朱ちゃんだけ、返してください。お願いします。

*1:ハイパーオーツ

*2:ニーチェには詳しくないので触れません

【叛逆ネタバレ有】私見:佐倉杏子について #YOME_LOVE

もはや12月。されど12月。
『劇場版魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』が公開して早38日となりました。
急激に冷え込んできた毎日ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。私は安定の杏子厨です。つい先日、9回目の叛逆鑑賞をしました。
9回目っておかしいんじゃないかと一瞬思ったのですが、検索してみたところまどマギ好きの間では珍しいことではないようです。まあ、内容が内容ですしね。仕方がないですね。映画館に聖地巡礼していると言っても過言ではないでしょう。むしろ毎週の礼拝?的な??ね???

えー、それはさておき、ユーホさんに「好きなキャラ語ろうぜ!」って誘われたので、杏子について語ります。
『girl! vol.2』でも『girl! vol.3』でも語ってtogetterでもザ・インタビューズでも語ってるのにまだやるんですか?
はいやります(即答)。
想いは重いってガハラさんも言ってたので、重くても許して下さい♡
また、後半は叛逆についても当然触れているので、見たくない方はお気を付け下さい。
この企画、私以外にも25人のおたくが毎日自分の好きな子についてアツい文章orイラストを投稿していく予定です。めっちゃたのしみ!(好きなキャラ #YOME_LOVE Advent Calendar 2013

WHO IS 佐倉杏子

なに寝ぼけたこと言ってんだって感じですが、念のためにですね?説明させてください。知っている方は読み飛ばしましょう。
佐倉杏子とは……

マミの縄張りを狙い、別の町からやってきた魔法少女。いつも何かを食べている。周囲の被害を鑑みない利己主義者。(TV版公式サイト

隣の町からきた魔法少女。他の誰かの為に魔法を使うさやかに反発していたが、自分と似ていることから気をかけるようになる。
そして、魔女と化したさやかを救うために自らの命をかけた。まどかの願いがかなえられた世界で魔法少女を続けている。(叛逆の物語公式サイト

そんなキュートな女子中学生(※ただし基本ホームレス)です。
八重歯がチャームポイント!
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登場シーンではだいたいなにか食べてます。もぐもぐかわいい。
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TV版放送当時の2011年、そのうつくしい赤髪を流星のごとく靡かせて現れたときから、ずっと私の心を占めてやまない女の子。それが彼女、佐倉杏子なのです。

なお、こちらのMADには杏子のかわいさと作者の狂気がぎゅっと詰まっておりますので、興味のある方はぜひ……!



杏子の魅力とは

そう聞かれればいろいろとあるのですが、たぶん重要なのは「わるものになりきれない子供」「情け深い」というところです。

正義の味方にあこがれて

「もしかして、あの魔女を真っ二つにしてやったらさ、中からグリーフシードの代わりに、さやかのソウルジェムがポロッと落ちてくるとかさ……そういうもんじゃん。最後に愛と勇気が勝つストーリーってのは」
「あたしだって……考えてみたら、そういうのに憧れて魔法少女になったんだよね。すっかり忘れてたけど、さやかはそれを思い出させてくれた」

そう言って、杏子は魔女になってしまったさやかを助けるためまどかに協力を乞います。
父親のために魔法少女になったのに、当の父親は魔女と詰った挙げ句杏子以外を巻き込んで一家心中。他人のために願い戦うことの危うさを刻みつけて、自分が生きるためだけ、利己的に魔女を狩ってきました。
そうしてきても、根っこまでは変わらなかった。変えられなかった。正義の味方として戦おうとするさやかに過去の自分を、さらには「正しさ」を何より信じていた父親を重ねて、叶えられなかった未来を夢見る。そんなまっすぐな杏子のきもちがこもったことばが、この台詞です。

「独りぼっちは、寂しいもんな」

結局、杏子のそんな願いは叶いません。
魔女は魔女でしかなくて、杏子は自身のソウルジェムを破壊することで魔女とともに消え去ります。自爆です。
自爆……そう、自殺なんです。冷静に考えてみれば、まどかを助けに来たほむらと引き下がって態勢を立て直してからもう一度来れば杏子は自爆せずに、魔女だけを退治できたのではないか。そんな疑問が浮かびます。
しかし、あの場で杏子は自爆を選びました。それは「独りぼっちは、寂しいもんな……いいよ。一緒にいてやるよ。さやか……」というセリフに見られるようにさやかへの祈りです。恭介が見てなくともさやかのがんばりは自分が見ていたよ、という。
自分が魔女化してしまってからでは、あるいは杏子が魔法少女のまま退治してしまっては一緒にいられません。違う存在のままです。だから杏子は、自分もさやかも、たましいが砕け散ってしまうところまで付き合うしかありませんでした。そしてそれは同時に、過去の自分の救済でもあります。父親を救えず自分だけが生き残ってしまった、絶望することもできなかった自分の救済。
どんなにエゴイスティックなものであっても、散っていった彼女の行動すべてがかなしくて、いとおしい。私はそう思います。ひどい趣味ですが。
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ちなみに、↑の杏子はTV放送版のものですがBD版*1ではまなざしを伏せ、よりやわらかい表情に変更されているんです。TV版は目の前のさやかをしっかりと見つめており彼女の決意が感じられますし、BD版はそちらよりも一緒にいたいという感情のほうがより強調されていますね。
これに限らず変更点が多すぎるので、TV版収録したBDとか出たら買いますよわたし(チラッチラッ

夢のなかの物語

ここまではTV版ないし総集編映画までのお話です。
さあ、叛逆の物語に入りましょう。

杏子の変化

もともと、杏子は時間が経つにつれて行動も声音も、どんどんやわらかくなっていました。TV版だけでもそうですし、TV版とほぼ同じ内容のはずなのに総集編映画のほうがさらにやわらかかったり……。「こんなにやわいのに叛逆ではどうなってしまうん?(´・ω・`)」そう杏子ファンは思っていました。
そうしたら……

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えっ?
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えっ??
ものすごく……甘えんぼです……。

さやかと同居していることにも動揺しましたが、それはまだわかります。杏子がほかのみんなと学校へ来て関わるために必要なことです。まだ、まだわかります。
ですが、ことあるごとに「さやか~」と呼び追いかけっこをし、マミさんには「えー、あたし酸っぱいのやだなあ」とお茶の好みを甘えた声で告げているとはどういうことですか!!?

しあわせな世界、だからこそ

本当に夢を見ているようでした。
二次創作や版権イラストでしか見られなかった、たのしい、しあわせな光景でしたから。
一部では「視聴者に媚売りすぎ」だとか「キャラが違う」などと言われていたようですが、それは違います。これも杏子の一面なんです。
家族もなく、ひとりぼっちで生きてきた杏子が、誰かと同じ屋根の下で寝起きをともにし、学校や帰り道、ナイトメアと戦うときも寄りかかれる相手がいるというのは、どれだけしあわせなことなのでしょう。考えるべくもありません。
いままで寄りかかれなかった分、寄りかかっているだけなのです。
それが許されるあの世界は、杏子のもうひとつの顔を見せてくれたあの世界は、すばらしくかがやいた場所でした。
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おわりに

自身の情け深さを覆い隠しながら必死に日々を生きている姿と、それゆえに至ったあの結末。シリアスな要素が彼女の魅力の大半でした。
ですが、叛逆以降はそこを踏まえた上で現れた新しい*3杏子が、さらに私を捉えてやみません。コロコロ変わる表情がかわいすぎますし、でれでれした甘えた声もかわいすぎます。

叛逆を見た方ならおわかりでしょうが、杏子は今回の物語でさやかと想いを通わせ、ほかの魔法少女たちと仲良くできて、しあわせになれました。「TV版から紡がれてきた佐倉杏子の物語」はもう決着がついたのです。ハッピーエンドの物語として*4
ですが、だからこそ、次こそは杏子がほむらを救う側として手助けができるのではないかと思うのです*5。ほむらもまた、杏子と似たもの同士なのですから。

もう、杏子に誰かをかなしみのなか看取らせたくありません。
次こそは、杏子とその周りの人々がしあわせであれますように。
そう願って今回は筆を置きます。最後は話がずれましたが、杏子の魅力がほんの少しでも伝われば幸いです*6

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*1:更に余談ですが、BD版9話はうめ先生書き下ろしイラストかつ、wowakaさん作曲のED「and I'm home」が挿入されています。必見です。

*2:これに近い姿がまさか本編で見られるとは……ううっ杏子かわいい……

*3:というよりも隠れていた別の一面と言ったほうが適切かもしれません。

*4:不幸せな中であがいて死んでいった彼女に惹かれたわたしからすれば、それは一種の決別でもありました。

*5:魔女化したあと、頭のないほむらの頤にそっと触れるシーンは胸が痛みます。

*6:できることなら全キャラと杏子の関わり(特にほむら)を書きたかったんですけど、さすがに時間がありませんでした。いつかリベンジしたいですね!

【ネタバレ】劇場版「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」まとめと感想

TV版だけでもわかっている方にはわかっていたのでしょうが、私はさやかと杏子しか見ていなかったので今回の叛逆を見て「oh……」と呻かざるをえなくなりまとめました。

単純な対比のまとめと感想です。考察らしいものはありません。

 

 

 

まとめ

TV版・総集編/叛逆の物語として対立軸を見たとき

[正義の味方]さやか/まどか

[自分のために願い生きる]杏子(林檎)/ほむら(柘榴)

となります。

[正義の味方]としての存在のお手本は、もちろんマミさんです。

TV版・総集編でさやかが失敗したのは上条恭介という愛すべき人がいたからで、まどか(とマミさん)が成功したのは博愛の人だったから。

杏子が失敗したのは自己愛(かつての自分と同じ未来を目指すひとへの気持ち)だったからで、叛逆の物語でほむらが成功したのは他者への愛(自分とは違う道を行くひとへの気持ち)だったから。

 

もうひとつはさやかとほむらの共通点。

特別な誰かのために戦う意志。

恭介はさやかの戦いはまったく知りません。

まどかですが、今のまどかは知らなくても、過去のまどか、あるいは概念と化したまどかはほむらの戦いを知っています。

だからこそほむらは最後の最後まで戦い続けることができました。

まどかが見てくれているから、まどかが愛した世界だから守ろうと。

でも、今回アルティメットまどかが普通のまどかに改竄されたとき、概念と化してひとり永遠に戦い続けることが怖いという言葉を聞いてしまいます。「自分たちのために、本当ならば怖いことをひとりで立ち向かっていった」まどかは、一番はじめのまどかと全く同じです。だから、3度目の今度こそは救わなければならなかった。

まどかは秩序や世界をあるものとして受け止め普遍的に愛し、それを守ろうとするけれども、ほむらのなかには元から世界や秩序なんて無く、目の前のまどかしかなかったんですね。

 

こちらのブログ見てるとまどかは勘違いしていたのでは?とあります。

彼女と、【彼女】のすれ違い ―劇場版まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語感想 ※ネタバレ有―

確かに「最高の友達」って言ってるんです。

でも

「今の私になったから、本当のあなたを知ることができた。私には、こんなにも大切な友達がいてくれたんだって。だから嬉しいよ」

「あなたは私の、最高の友達だったんだね」

という言い方は、まどか自身の実感を伴った言葉には見えないのですよね。その後も「みんな、みんないつまでも私と一緒だよ」と言っていて、まどかとほむらのふたりきりの関係には殆ど触れていません。私としては、やはりまどかは博愛しか抱けていない少女なのだと思います。

 

他にも、「愛と勇気が勝つストーリー」が二重に叶えられた(TV版:さやかは失敗/叛逆:魔女化したほむらからほむらを救い出す・概念化したアルティメットまどかからまどかの記憶を掬い出す)とか、胡桃とか黒蜥蜴とか柘榴とか円とかいろいろありましたが、きっと他の方がお話ししてくれることを信じて、あとは感想に回します。

 

 

今回の話はまったくもってハッピーエンドじゃありません。少なくとも私は認めません。

だって、ほむらは笑っていないじゃありませんか。

ほむらもまどかも自己犠牲しやがって……お前らふたりで並んで笑えよ!!!って感じです。

そもそも、いまのまどかって本当のまどかなんでしょうか?

かつて存在した鹿目まどかは、「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい」と魔法少女の笑顔を願って円環の理というシステムの存在へとなりました。それって、もうシステムとまどかは不可分の存在ってことですよね?本当なら。

それは、鹿目まどかなんでしょうか。

私には、ほむらがもう彼女の求める鹿目まどかはどこにも存在しないにも拘わらず、その残滓を求めて円環の理というクローン、あるいはまどかの子供から記憶だけを切り離して、かつての鹿目まどかにしてあげられなかったことをしているだけのように見えてしまうのです。

円環の理に従うまどかも、さやかも、マミさんも杏子も、みんな踊ります。みんなで踊ります。笑います。でも、ほむらはたったひとりで踊るのです。

じゃあどうすればいいんだって感じですが、もう私にはQBさんたちにその存在ごとお引き取りいただいて宇宙の開闢から改変するしかないんじゃないかと思えてきます。あの綿菓子は私のなかのぜったいにゆるさないリストトップに君臨し続けることでしょう。

 

あとは、さやかがすっきりした顔でオクタヴィアさえ自分の制御下においていたところには泣きました。さやかは自分の負の感情をも受け入れることができたってことじゃないですか。あそこで流れるのが"For The Next Episode"だというのもにくいです。杏子とさやかはもう双子の姉妹みたいなものなので同棲しててもおかしくないということが今回よくわかりました。お幸せに……。

 

それと、最後に。

今回、OPではほむら以外の4人が踊り、ピュエラ・マギ・ホーリー・クインテットの変身シーンで5人が踊り、そして最後はほむらひとりが踊って終わります。はじめのナイトメア退治のときには「Welcome to cinema」、ほむらがさやかと戦った後にゴンドラで下るときには「Do you enjoy the movie?」と、舞台……映画であることを問いかけてきます。映画を楽しんでる?と。これはほむらへの問いかけであると同時に私たちへの問いかけであることは想像に難くありません。

この、魔法少女たちが楽しげに踊っている、幸せなOPはすべて映画であって現実ではない。ということが映画を見ている私たちへ投げかけられているようで、ものすごくつらかったです。二次創作を肯定されたようで、その実すべてが空虚なような。もっともこれは二次創作大好きな腐女子兼オタクの被害妄想なのかもしれません。総集編映画のコネクトラストシーンがほむまどふたりになったことに多大なショックを受ける位の人間なので……。自分でもまだうまく整理できていないので、後日整理できるようであればまたなにか書きたいと思います。

 

臓腑を抉られるようにつらくても作品としてすばらしかったのでできるだけ通いたいですね(白目)

 

 

 

 

以下、上記前半まとめに至った流れというか補強というか。

 

マミ:交通事故から生き残りたい(自分のため)

杏子:父親の話をみんなに聞いてもらいたい(他人のため)

さやか:恭介の腕を治したい(他人のため)

ほむら:まどかとの出会いをやり直し、まどかを守る自分になりたい(他人のため)

まどか:すべての魔女を生まれる前に消し去りたい(他人のため)

 

マミさんの願い事は明言されてはいませんが、交通事故のなかひとりだけ生還したところを踏まえると恐らくとっさに自分だけの命を願ってしまったのだろうと考えられます。

 

ほむらの願い。

ほむらは元々何もできない自分に対してコンプレックスを持っていました。だからこそ目の前に現れた明るくて誰かを守るために戦うまどかに憧れたわけです。

そんなまどかは、大したことの無い自分を守って死んでしまった。だから、彼女が死なないように、自分も強くなって隣に立って守りたい。

そう願ったわけですが、ここでほむらはひとつ勘違いをしているのではないでしょうか。

 

まどかはワルプルギスの夜から逃げようとほむらに言われたときにこう返しています。

「それでも、私は魔法少女だから。みんなのこと、守らなきゃいけないから」

まどかはいつだって、「みんな」のことを、そして「みんな」がいる「世界」のことを考えています。

それは中学生の女の子が描ける「世界」ですから、当然狭いものではあります。ですが、間違いなく関係性とその広がりを持った「世界」なのです。

 

一方でほむらはまどかと共に戦って魔女化しそうなときにこんなことを言っています。

「そう……。ねぇ……私たち、このまま二人で、怪物になって……こんな世界、何もかもメチャクチャにしちゃおっか?

嫌なことも、悲しいことも、全部無かったことにしちゃえるぐらい、壊して、壊して、壊しまくってさ……。

それはそれで、良いと思わない?」

ほむらには、始めから「世界」なんてものはどうでもいいものだったのです。

まどかがいるから、まどかが笑っているから、だからこそ「世界」はあってもいいものであって、まどかがいない「世界」などに価値はありません。

 

さて、ここで杏子とさやかを見てみます。

TV版・総集編版でさやかは恭介の腕を治したあと正義の味方として戦います。

「これからの見滝原市の平和はこの魔法少女さやかちゃんが、ガンガン守りまくっちゃいますからねー!」

「私はね、ただ魔女と戦うだけじゃなくて、大切な人を守るためにこの力を望んだの。だから、もし魔女より悪い人間がいれば、私は戦うよ。例えそれが、魔法少女でも」

これもまどかと同じ、大切な人が住む見滝原市=「世界」を守ろうとする決意です。

ですが、さやかは段々と歪んでいきます。それは、一番最初の、「世界」の基準点としてあった上条恭介が友人に奪われたからです。そう言う意味で、さやかはマミさんやまどかとは異なっています。たったひとりの、特別なひとが世界の大半を占めていた。奪われたなかでもその特別なひとが生きる「世界」を守るために戦おうとしますが、特別なひとである恭介はさやかの戦いなど知りもしません。誰に認められることもない戦いを続けることは、非常にくるしいことです。

 

戦い続けられたマミさんとは、そして概念と化して永遠に戦い続けようと決めたまどかとは何が違うのか。

特別なひとがいた。それだけのことなのです。

突出した誰かを持たない、言ってしまえば愛も恋も持たない

 

杏子も、一度は世界を奪われています。父親のために行った行為が引き金となって、「世界」の基準点である父親自身がその周囲にあった家族をも含めて消え失せました。そこで魔女になってもおかしくありませんでしたが、杏子は魔法少女として戦い続けています。それは、その基準点を奪ったのが自分だからです。父親に詰られ、目の前で心中され、少なくとも杏子はそうやって納得しました。「自業自得の人生」だと納得したから、誰を呪うことなく、強いて言えば自分を呪うことで生きてこられたのです。ほむらと同じですね。

 

【ネタバレ】劇場版「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」の個人的メモ

TVシリーズとの相関

話の構成

TV版/劇場版

1-3話 マミさんとの普通な魔法少女からぱっくんちょまで
ピュエラ・ホーリー・マギカ・カルテットからこの世界は見滝原だけだと気づいたとき
マミさんとほむらの廃虚戦(TV版3話のマミさん拘束含む)
→平和な日常とちょっと危険なお仕事

5話 杏子とさやかの路地裏対決
6話 まどかとさやかの話し合い
さやかとほむらの話し合いと対決
→5話:主義の違い
→6話:本当にその行動は正しいものなのかという問いかけ(相手との話し合いという手段の提示)

QBによる魔法少女の事実の暴露
まどかによる本音の暴露
→自分の正体に気付く

7-8話 さやかの魔女化(杏子が最後の会話相手)
ほむらの魔女化(杏子が最後の会話相手)

9-12話(10話除く) さやかvs杏子、ワルプルギスの夜vsほむら→まどか概念化
魔女ほむらvs魔法少女・まど神様の使い→アルティメットまどか召喚

だいたい場所や拘束など要所要所で同じものを使っている。

さやかと杏子について

 サービスされすぎてどうすればいいのかわかりません。杏子はスレなければあんなに素直でおバカな子だったし、さやかも濁らなければまっすぐものを見つめられる子だったんだなあと思うとTVシリーズとはいったいなんだったのかという気持ちにさせられます。ああいう鬱々しくも盲目的で感情の爆発で散っていく少女が好きなので結局好きなのですが。まっすぐなさやかの正義に魅せられた杏子と、自分を救おうとしてくれた杏子と一瞬の友情を交わすさやか。どこの童話ですか神話ですかやめてください泣いてしまいます。For the next episodeをあそこで流すのは反則でしょう……(3回見に行って3回泣いてる)。

ほむらのしたことについて

さやかのときに杏子がなし得なかった 「愛と勇気が勝つストーリー」をほむらはなし得た。魔女は本人と不可分の「自分」ですが、まどかの場合はシステムと個人(の記憶)なので分離できたっぽいです。しかし、そもそもほむらはグラハム・エーカー並にこじらせてしまっているので単に杏子の情念が足りなかったのかもしれませんね?杏子はさやかを自分と重ねていたけれども、ループしているわけではありませんし、何より自己愛として見るのであれば杏子は一度自分のことを諦めている人間なので、ほむら→まどかの見ているこっちが不安になるほどの入れ込みようとは比ぶべくも無いのでしょう。

そして、じゃあこのほむらの「愛と勇気が勝」ったストーリーはいったい何が悪いの?それはひとえにまどかの意志を踏みにじっているというだけじゃあないでしょうか。まどかは魔法少女の選択する意志を尊重し、それを守った。ほむらはまどかの選択を受け入れずにまどかの記録を引っ剥がし、さやかや杏子その他諸々巻き込んで一部改変してしまったわけですが、ぶっちゃけ設定がわからないのでシステムだけ残ってればいーんじゃないの?みたいな気持ちにもなります。

でも、そもそもシステムと一体化していたアルティメットまどかは、分離してしまったらアルティメットまどかたり得るのでしょうか。わたしは00のティエリアが大好きなんですが、00最終話以降、彼からヴェーダにアクセスするシステムとか取っ払っちゃったらそれって「ティエリア」なの?みたいな。逆か。まあいいや。ほむらが望んだ「まどか」はそんなまどかではないんだろうけれども、世界にとってはなにも影響が無いわけはないんだろうなー。でも設定がわからないから、わからない。これで二次創作頑張ってね!とは殺生な……って感じです。

 

ほむらについて 

 ところで、EDの「君の銀の庭」の歌詞は、大雑把にまとめれば「少女のままずっとここで一緒にいよう」みたいな内容でしたよね。でも、ほむらって本当に少女なんでしょうか。悪魔ほむら(以下デビほむ)の姿はとてもえろいです。これまでの魔法少女たちに比べれば圧倒的に露出度が高いですし、なにより性的アピールに満ちています。あれってもはや女性じゃありませんか?魔女になることも子供と大人の対比で語られることはままありましたが、魔女からさらに派生した悪魔なら、ましてや神を愛で、欲望で堕天させる悪魔ならば、それはもう大人なのではないでしょうか。まどかに対してあれだけものすごい情念を持って「愛」だと言い切ってその他すべてを切り捨てられる彼女が、それでもまどかを少女のまま留めおいて愛し続けるのってすごく退廃的だなあと思います。ただ、一方でその情念は子供ならではの盲目的なものでもあるような気もします。からだだけ育っちゃった子供とかでしょうか。まったくもってブラック・スモール・レディですね。うん、やっぱり子供ですね。まどかもほむらも、喧嘩すればいいってもんじゃありませんが自分ひとりで抱え込んで終わらせようとしているので、こっちだって心配してるんだよバカヤローくらい言って殴り合っていいと思います。銀河美少年がそういうオチだったらしいですがわたしは見ていないのでスクライド的なアツいやつを所望します。最後はインキュベーター絶滅させて終わりましょう!